こちらでは、映画「バビロン」が実話なのか?登場人物のモデルはいるのか?などをまとめています。
100年前のハリウッドの映画業界の様子や、ジャックコンラッドとネリーのモデルについても調査しました。
この記事が、映画「バビロン」をより深く楽しむために参考になれば嬉しいです。
映画「バビロン」は実話なの?モデルは誰かを調査!
チャゼル監督は、キャラクターのアイディアは、「実在の人物に影響を受け、複数の人物を組み合わせて考えた」と話しています。
映画「バビロン」は100年前のハリウッドの映画界を描いていますから時代背景などは実話ですが、すべての物語が実話ではありません。
ジャックコンラッドやネリーは実在の人物から構想を得ている為、モデルがいます。
「バビロン」映画のモデルはいる?ジャックとネリーのモデルについて
【モデルがいる!】
ジャック・コンラッドとネリー・ラロイにはモデルとなった俳優や女優がいると、チャゼル監督はインタビューで答えています。
実在の人物に影響を受けたり、複数の人物を組み合わせた人物像だそうです。
ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット演)のモデルはいる?
【ジャック・コンラッドのモデル】
ジャックのモデルになったのは、ジョン・ギルバードです。
1920年代の無声映画時代のスターで、トーキー映画への以降に苦労し、キャリアが衰退しました。
他には、クラーク・ゲーブル、ダグラス・フェアバンクスに影響を受けてジャックを作り上げたそうです。
(チャゼル監督のインタビュー記事より)
クラーク・ゲーブルと言えば、「風と共に去りぬ」のレット・バトラーですね、
そういえば、ひげをたくわえ、自信満々に煙草を吸う様子はジャックに似ていました!
クラーク・ゲーブルはトーキー映画の俳優さんですよね~。
ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー演)のモデルはいる?
【ネリー・ラロイのモデル】
ネリーのモデルになった女優は、イット・ガールのクララ・ボウ。
サイレント時代に活躍しました。
1927年、映画「あれ(It)」でヒロインを務め、トップスターに上りますが、
1930年以降のトーキーの波には乗れませんでした。
ネリーの境遇によく似ていますね!
その他、ジョーン・クロフォード、アルマ・ルーベンスという初期の女優をネリーに重ねたとチャゼル監督は語っています。
(チャゼル監督のインタビュー記事より)
時代背景は?1920年代から1930年代
1920年代のハリウッドはサイレント映画の全盛期、ハリウッドでは全ての夢が叶うと誰もが信じていた。
1927年、初めてのトーキー映画「ジャズ・シンガー」で流れが変化し始めた。
1928年サイレントとトーキーでは撮影方法が違い、役者も現場も神経をすり減らした。
1932年のハリウッドの映画は完全にトーキーへと移行した。
タイトル『バビロン』の意味は?
映画の内容は、まさに「バビロン」そのものでした。
あれほど栄華を極めたサイレント映画の黄金期はやがて衰退しました。
バビロンとは?(辞書より)
「紀元前25世紀に建設された古代メソポタミアの都市で、
バビロニアの主都
古代メソポタミア文明の中心として栄えた。
紀元3世紀、衰退して消滅した。
現在のバクダッドの南のユーフラテス河添いにあったとされる。」
(2019年に遺跡群は世界文化遺産に登録された。)
繫栄したメソポタミア文明が
衰退することを疑わなかったように消えていきました。
「バビロン」映画の最後にネリーが姿を消した理由とネリーの死因
こちらでは、最後にどうしてネリーはマニーの元から姿を消したのか?を考えてみます。
ネリーの死因は新聞には書かれていませんでした。
ネリーが姿を消した理由
この映画のもう一つの見どころは、ネリーとマニーのラヴストーリーの行方でした。
ネリーは最後にどうして一人で車から消えたのか?
身体を揺らし、ダンスをしながら夜の街へ消えていきました。
マニーと婚約して一緒にメキシコへ逃げるはずだったのに、、、。
マニーにこれ以上迷惑をかけてはいけないと思ったのかもしれません。
いえ、それよりもまだこのハリウッドで夢の続きを追いたかったのではないでしょうか?
ネリーは、女優としての再起を諦めきれなかったのだと、私は思いました。
ネリーの死因は?
ネリーの死亡記事が出ていました。
「サイレントのスター女優、ネリー・ラロイ34歳で死亡。」
短かすぎた女優としての頂点。
映画ではネリーの死因は伝えられませんでした。
マニーと離れた場所近くのホテルで一人、ひっそり死んでしまいました。
「バビロン」映画のあらすじ
バビロンの主人公は3人います。
●サイレント映画の大スター=ジャック・コンラッド
●新人女優=ネリー・ラロイ
●映画製作を夢見る青年=マニー・トレース
サイレント映画からトーキー映画へと時代は変わります。
1920年代後半から30年代はじめに時代に巻き込まれた3人の人生を解説します。
ジャック・コンラッドの人生
1926年
サイレント映画の全盛期です。
ジャックは大スターで、毎晩開かれる映画業界の豪華絢爛なパーティーの花形だった。
妻と口論になり、離婚をしてもすぐに次の女性が現れ、結婚した。
1932年
世の中の映画の流れは完全にトーキーへ移行した。
映像と声(音)が一緒に流れる映画。
ジャックは必死に声を出して演技をしたが、、、。
今まで演技だけをしてきたジャックの台詞はどこか大げさな、時代がかったものに聞こえ、観客に笑われるようになった。
映画批評家のエリノアからジャックの時代は終わったと告げられ、落ち込んで帰路につく。
【ジャックが自殺をした理由】
ジャックはサイレント映画の花形スターでしたが、トーキー映画の波にのまれてしまいました。
一生懸命、声と合わせて演技し、役にくらいついたのですが、ジャックの台詞は大げさで、どこか時代がかっていて、観客には受け入れられなかったのです。
自分のトーキー映画をそっと映画館へ見に行ったジャックは、観客が自分の演技を笑っているわけが分かりませんでした。
とどめは、映画批評家のエリアナが書いた記事でした。
ジャックの時代は終わったとありました。
エリアナに会い、文句を言いに行きますが、それでもあなたは多くの映画を残したんだからいい仕事をしたのよと言われても、ジャックは喜べなかったのです。
最後、滞在先のホテルでピストル自殺をしますが、直前に偶然出会った旧友、歌手のフェイとお茶を飲み、あの頃は楽しかった、いい時代だったと懐かしみました。
フェイがヨーロッパへ仕事に行くというので、また会おうと言って別れたのです。
フェイは別れ際に、ジャックが大量の汗を流している様子を心配し、振り返りました。
そのまま、妻に先に休むと声をかけ、階段を上る途中でボーイにたっぷりチップを渡した時、、、
ああ、ジャックは死のうと思っているな、そんな風に想わせるやり取りでした。
映画では、
自分の部屋へ入り、ピストルの音と洗面所に飛び散った血が映りました。
ああ、やっぱり。ジャックは絶望してしまったのです。
自分が世の中から消えてしまったことが、受け入れられなかったのでしょう。
栄枯盛衰という日本語があります。
栄えていたものが勢いを失ったり、また盛んになったりを繰り返すという意味です。
ジャックの場合、トーキーの時代に自分の出番が来ることは絶対にないわけです。
奮起しても、時を待っても望みは感じられなかったのです。
エリノアが言うように、自分が残したサイレント映画を誇りに思えたら良かったのに。
ジャックの葬儀では、エリアナがジャック達が活躍した時代の映画を懐かしく振り返っていました。
彼女もまた、無声映画の時代を生きた映画人だったのです。
ネリー・ラロイの人生
1926年、
大女優を夢見る新人のネリーは、パーティーに出席しようと車で乗り入れ、玄関先の銅像にぶつけて入り口の警備員から叱られた。
居合わせたマーニーが屋敷の中へ案内する。
これがふたりの運命的な出会いとなった。
私は夢を叶えるの、大スターになってみせるわ、と熱く語るネリーは輝いていた。
全裸、半裸の男女が入り乱れ、お酒にドラッグに暴力が入り混じり狂乱を極めるパーティー。
パーティーは佳境に入り、異様に盛り上がる。
ネリーが艶やかに踊る姿は人々の目を引き、真っ赤なドレス姿で担ぎあげられ、
既に大スターに上り詰めたかのように注目を集めた。
このパーティーの途中、ドラッグにより倒れ明日の撮影に出られなくなった女優の代わりにネリーが代役に抜擢された。
この役をきっかけに、ネリーは瞬く間に大女優へ駆け上る。
翌年、サイレント映画からトーキー映画へ移行が始まった。
1927年、初めてのトーキー映画が発表され、
時代は確実にサイレントからトーキーへ移ろうとしていました。
しかし、ネリーは台詞を覚えるのに精一杯で、自由奔放な演技が持ち味のネリーらしい演技が出来なくなっていました。
また、声の質や話し方に品がないと、陰口をたたかれ、悔しい思いをします。
上流社会の後援者たちにバカにされながら、マニーに助けられ、必死に役にしがみついていました。
映画会社から、マニーを中心にネリーの再起を応援してもらいましたが、ネリーはトーキー映画にうまく移行できませんでした。
荒れた生活をしてギャングに借金をしてしまい、マニーに泣きつきます。
一緒に逃げる途中、何度も、メキシコへは一人で行って、と言うネリーに
マニーは初めて自分の気持ちを伝えます。
Te amo=te(君)amo(愛してる)=君を愛してる
スペイン語で何度も言いました。Te amo.
ネリーもI love you を返して二人のラブストーリーは上手くいくんだと思いました。
私の夫よ、と地域のダンスのメンバーに紹介し、二人は婚約しました。
この時が二人の幸せの絶頂だったのでしょう。
マニーが荷物を取りに車を降りた間にネリーは車を出て夜の街へ消えていました。
映画の終盤、ジャックの葬儀の後の新聞記事にひっそりと、ネリーの死亡記事が出ていました。
「サイレントのスター女優、ネリー・ラロイ34歳で死亡。」
短かすぎた女優としての頂点。
ネリーもまた、栄枯盛衰の盛り上がりをもう一度見ることなく、早く亡くなりましたね、
寂しい記事でした。
マニー・トレースの人生
1926年、
映画製作の下働きだったマニーは、メキシコから出て来た青年。
マニーも映画業界で何かしらの仕事をやり遂げたいという野望を持っている。
ある晩、パーティーで出会い、女優を夢見てキラキラ輝くネリーに魅かれ、恋をした。
そのパーティーからジャックを車で自宅へ送り届けると、ジャックは酔っぱらい、窓から落ちてしまった。
大慌てで下を見ると、ジャックはプールに落ちて大変元気だった。
ジャックの態度はスケールが大きく、度肝を抜かれた。
マニーはジャックの助手として、映画業界で働くことになった。
陽が落ちないうちに撮影をしなければいけない。
カメラが足りないからと、街へ調達に行かされ、
時間に間に合わないからと救急車を借りて撮影現場に戻った。
出番がなかなか来ないジャック・コンランドは酔っぱらっていたが、陽が落ちる前に見事に役を演じ切って映画のフィナーレを飾った。
こんな、予想もつかない事ばかりの撮影現場を駆けずり回るマニーだったが、映画が完成すると充足感を味わった。
翌年、
大女優になったネリーにばったり出会うと、ファンに囲まれていた。
ネリーと一緒に療養所へネリーの母親を訪ねた。
ネリーは苦労して子供時代を過ごしたのであろう。
その帰り道、マニーは映画館で世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」を観て驚いた。
慌てて、ジャックに電話で知らせた、この先、映画業界が変わることを。
トーキーに上手く移行できないネリーを再起させようと奮闘するマニー。
しかし、ネリーの仕事はどんどん減っていった。
マニーは映画会社でネリーをバックアップしましたが、
トーキーの波に乗れなかったネリーの仕事はどんどん減っていきました。
夜中にネリーが訪ねてきて、
ギャングのボス、ジェイムズ・マッケイに多額の借金をして追い詰められているから助けてほしいと言います。
大金を用意して(にせ金だったが)
カウントと一緒にマッケイを訪ねると、
車で薄暗い違法なアジトへ連れていかれました。
おりの中で戦う男たち、見世物小屋のような場所、ワニまで飼われています。
最後は怪物のような大男がネズミを食べるショーがあり、、、褒美に金を与えると、
上から落ちてきた水で偽札の印刷が剥げてしまったのです。
マッケイから最大級の怒りを買った二人
死に物狂いで戦いながらマニーはカウントとふたりようやく逃げてきました。
寝ていたネリーをたたき起こし、
嫌がるネリーを説得してメキシコへ逃げることにします。
途中、ガソリンを入れている間に地域のダンスパーティーに紛れ込んだネリー。
ここでふたりは婚約をしました。
あるカメラを持った男性が二人のキスシーンを撮影してくれました。
最後の荷物をまとめる為、
カウントの部屋に戻ると、ギャングの刺客が襲ってきました。
カウントは撃たれて死にましたが、
命乞いをしたマニーはこの街から出ていけと、見逃されたのです。
マニーは、失禁していました。
車に戻ると、ネリーが居ません。
ネリー!!
最後に名前を呼んだ。
そして、マニーは一人、車を運転し急いで街を出て行きました。
マニーは出会った時からネリーが好きでした。
ずっと、彼女を応援し、命がけで二人でメキシコへ逃げるつもりでした。
最後は、暗殺者から奇跡的に命が助かり、
ぷっつりと意識が切れてしまったように車を発車させました。
もう、ネリーを探しませんでした。
彼は放心状態で、何も考えられなかったけれど、
心のどこかで、バビロンの世界はもうこれでおしまいにしよう、と思ったのでしょう。
「バビロン」映画のラストシーンを解説!マニーの涙の意味は?
【マニー/ラストシーンの涙の意味】
1952年
「kinoscope pictures」
撮影所の門は新しくなっていました。
マニーは30年ぶりにハリウッドを訪れました。
すっかり、地味な身なりをして落ち着いたお父さんになっていました。
優しそうな妻と、小学生の女の子を伴っています。
警備員に、何か用事か?と尋ねられ、
昔ここで働いていたんだと告げます。
とても懐かしそうでした。
妻と娘が先にホテルへ帰るというので、一人で映画館へ入りました。
ウトウトしていると、サイレント映画からトーキー映画へ移行する頃の映像が流れ、ハッと目を覚ましました。
観客は、サイレント女優のだみ声や、演技を笑いますが、マニーの頭の中には当時の映画界がフラッシュバックします。
先ず、ネリーが担ぎ上げられたクレージーなパーティーの映像が頭に流れます。
ネリーと出会い、映画業界で何かしらやり遂げたいという、将来の夢を熱く語り合ったあのパーティーです。
映画館で流れる、サイレント映像を面白おかしく映し出す映像は、マニーには笑えない映像なのです。
夢を抱いてメキシコから出て来て、何でも言われたことをこなした下働き時代。
撮影所は混とんとしていて今なら不合理なことだとわかっても、当時は皆が一生懸命でした。
その方法がすべてだと思っていたから。
映画が出来上がった時の感激はひとしおで、充実感でいっぱいでした。
映画館の観客も変化しました。
ポップコーンを食べながら、恋人同士はキスをしながら映画を観ています。
泣いているのはマニーだけ。
マニーの涙は、昔を思い出して懐かしみ、悲しむものではなく、
自分があんなに一生懸命生きたんだということを思い出して自分の過ごした映画界での時間に満足した涙だったと私は感じました。
『バビロン』映画のまとめと私の感想
トーキーへの移行で、出番がなくなってしまった役者やミュージシャンたち。
「栄枯盛衰」というより、「諸行無常」に近い感覚だったのかもしれません。
こちらは、
世の中にあるものは変化をし続け、壊れたりなくなったり、永久的に不変のものはないという意味です。
でも、シドニー・パーマー(ジョバン・アデポ演)は違いました。
ずっと、ジャズの第一人者でパーティーでも花形のトランペット奏者でしたが、
トーキー映画と同時に黒人ミュージシャンが台頭し、トランペットの腕だけを買われることがなくなりました。
一度は顔に靴墨を塗り、時代の流れに合わせてみましたが、自分から撮影所を出ました。
小さいお店だけれど、自分の音楽を演奏する姿が映った時には嬉しかったです。
私が自分を振り返ってみると、昔は一生懸命やっていて評価されたことが、もう需要がなくなってしまったり、今は最善の方法だとは思えなくて驚くことはよくあります。
バビロンで描かれた撮影所の様子は、戦闘シーンを演じながら本当に槍が胸に当たって死人まで出ていました。
手探りで撮影が進化していったんですね。
俳優さんたちも同じです。
特に無声映画から有声映画へ移行できなかった役者が消えていく様子は寂しかったです。
チャゼル監督は、そんな映画の基礎に関わった関係者にお礼を言うつもりでこの映画を作ったのだと想像しました。
今の映画があるということは、基礎を作り、引っ張ってきた人たちがあるということ。
監督は、映画が大好きなんだなあ、とあちこちのシーンで感じた映画『バビロン』でした。
個人的には、ネリーの奔放さ、ジャックの太っ腹な態度がとても好きでした。
エリノアが言ったように、良い映画をいっぱい残したことを誇れると良かったのに。
それは、何年もたたないと分からないことだから、仕方がありません。
始まりからの3分の1はエネルギーいっぱいの映画界の熱さが伝わってきました。
残り、3分の2は、歴史が変わる寂しいストーリー展開でしたが、物語が面白くて3時間があっという間に感じました。
ジャックやネリーやマニーが一生懸命生きたハリウッドの時代を素敵だと思いました。
マニーが最後に流した涙に、私も共感しました。
(感想、おわり)
この記事が、映画「バビロン」をもっと深く知るための参考になれば嬉しいです。
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