オードリー・ヘップバーンを一躍有名にした『ローマの休日』。
主演のアン王女をオードリー・ヘップバーンが演じました。
美しくて気品があり、性格が可愛らしい王女様。
オードリー・ヘップバーンにピッタリの役柄でしたね!
こちらでは、オードリーヘップバーンが演じたアン王女にスポットを当て、実際にモデルがいたのか調査しました。
『ローマの休日』のアン王女に興味がある方の参考になれば嬉しいです。
ローマの休日(映画)アン王女のモデルはいる?どこの国?年齢や性格も調査!
「ローマの休日」は、
1953年に公開されたアメリカ映画です。
オードリー・ヘップバーンが主演のアン王女を演じ、一躍スターにかけ上りました。
ヨーロッパの伝統的なある小国の王位継承者、アン王女が
公式訪問先のイタリア、ローマで知り合った
アメリカ人の新聞記者ジョーとの24時間の恋物語です。
オードリーヘップバーンが演じるアン王女のモデルはいるのでしょうか?
ローマの休日(映画)アン王女のモデルはいる?
ヨーロッパの伝統的なある小国の王位継承者、アン王女。
オードリーヘップバーンが演じるアン王女のモデルはいるのでしょうか?
アン王女はどこの国の王室なのか、映画の中では国名を出していません。
実際にアン王女のモデルはいるのでしょうか?
映画と同時期に活躍のマーガレット王女(イギリス)という噂はほんとうでしょうか?
アン王女のモデルは、イギリスの王族エリザベス女王の妹君マーガレット王女なの?
現在イギリスの女王であるエリザベス二世の妹のマーガレット王女は
明るく活発で、大変な美貌の持ち主。
そんな、王女は世界中の若い女性のあこがれの対象でした。
1955年に英軍人との恋愛が世間で話題になり、注目を集めました。
が
ローマの休日(映画)は1953年公開ですので前後しますから、
マーガレット王女は、実際のモデルではないようです。
また
脚本はそれ以前にすでに出来上がっていました。
パラマウント社のプロデューサーもはっきりと否定をしています。
ですから、アン王女の具体的なモデルはいません。
ローマの休日のオードリー・ヘップバーンとアン王女
無名の新人だったオードリーはこの映画で一躍スターになりました。
人々はオードリー・ヘップバーンをアン王女と重ねて見たのかもしれません。
私の中で、アン王女はオードリー・ヘップバーンでは?と錯覚してしまうのですから。
それほど
オードリーの演じたアン王女は、気品があって、可愛くて、
最高に美しかったのです。
新聞記者ジョーと「真実の口」を訪れた時には、
王女であるという真実を隠していました。
「心に嘘を抱えていると口にかまれて手が抜けなくなる」という
伝説を信じて、手を入れるのをためらいました。
この時のオードリー・ヘップバーンは本当に愛らしかったですね。
※『ローマの休日』真実の口について、の記事も書いています。
よろしければ、こちらからお読みください。
ローマの休日(映画)アン王女はどこの国?
映画の中で、実際の国名は出されていませんが、
「ヨーロッパの伝統的な、ある王室」という設定です。
映画でアン王女は、
ロンドン、アムステルダム、パリ、ローマの順に公式訪問しています。
これらの国(イギリス・オランダ・フランス・イタリア)以外の架空の国ということでしょう。
どんな国だろう?と想像するとワクワクします。
ローマ市内で人々が王女だと気がつかなかったのは、
イギリスのような大国ではなく、小国のお姫様だからかもしれませんね。
ますます、そんな国があったらいいなあと、思います。
ローマの休日(映画)アン王女の年齢は?なぜ一人でローマに来たの?
ローマの休日(映画)のアン王女は、
上品なロングドレスにティアラを身につけ、
素敵な笑顔で各国を訪れ、熱烈に歓迎をされます。
一国の代表として堂々とヨーロッパを表敬訪問する王女。
いったい、王女は何歳なのでしょうか?
ローマの休日のアン王女は、何歳なのでしょう?
ローマの休日(映画)では、アン王女の国名のほか、年齢も分かっていません。
が、アン王女を演じたオードリー・ヘップバーンは当時24歳でした。
後に映画が小説化され、
その小説の中でアン王女は19歳の設定になっています。
そんなに、若かったんですね!
正直、おどろきました。
エレガントな身のこなし
ヨーロッパ各国の重鎮との堂々としたやり取り
気のきいた、素晴らしいスピーチ
とても、19歳とは思えぬ立派な外交ぶりです。
ローマの休日のアン王女は、どうして一人でローマの街の中にいたの?
アメリカ人新聞記者、ジョー・ブラッドレーが見つけたとき、
ローマ市内のベンチで横になり、眠っていたアン王女。
若い王女は忙しいスケジュールに疲れ、
ちょっと気分転換のつもりで滞在先の大使館を抜け出しました。
抜け出す直前に主治医が鎮静剤を注射したので、眠くなってしまったようです。
ローマの休日のアン王女はどうして滞在先を抜け出したの?
ロンドン、アムステルダム、パリ、ローマを表敬訪問中のアン王女。
最後のイタリア、ローマでそっと滞在先を抜け出したのですが、
忙しいスケジュールの合間、少しだけ普通の人々の生活を覗いてみたかったのではないでしょうか?
保護してくれたアメリカ人新聞記者、ジョー・ブラッドレーに伝えた自分の名前は
アーニャ・スミス(とっさに思いついた?)
ほんの1-2時間のつもりが24時間
アーニャとジョー
二人にとっては、たった一日の恋物語になりました。
ローマの休日(映画)アン王女の性格は?
ローマの休日(映画)では、伝統のあるヨーロッパ某国のお姫様。
王位継承権第一位の若き王女は国の代表として
緊張の中にも素敵な笑顔で、各国を表敬訪問、
一生懸命に公務をこなします。
国の代表として責任を果たそうとするまじめな性格がうかがえます。
ローマの休日のアン王女がローマ市内で見せた素顔は?
アン王女は、忙しいスケジュールが終わると
夜にはミルクを飲みながら若い普通の娘と同じように泣いてしまいます。
背負っているものの大きさ、若干20歳前後の王女は無理をしていたんですね。
その後
ローマ市内にこっそり紛れ込んだ彼女の行動は見ていて本当に微笑ましいのです。
一生懸命なんだけど、一般の人とは違う感覚を素直に言葉にします。
素直で、一生懸命で、とても可愛い、チャーミングな性格。
睡眠薬が効いて寝ぼけたアン王女が公園のベンチで
王女がいつも講演で話すポエムを朗読します。
一般の人の日常では浮いていて面白いですね。
傍に来たジョーに「どうぞ、お座りなさい」と声をかけるのですが、
アン王女にとってはいつもの態度だったのです。
言われたジョーは、「ああ、そうですか、それはどうも」ですよね。
タクシーに乗り、どこに住んでいるかと聞かれ
「宮殿です」と答える。。。
正直に答えただけですが、一般の人とのずれを感じる場面。
ジョーの下宿部屋を見て
「ここはエレベーターですか?」と質問。
あまりにも狭いから?
素直な感想です。
翌朝のローマ市内で
普通のサンダルを買ってヒールからはき替えて歩き出します。
ヒールではなく、歩きやすいサンダルにあこがれていたんですねー。
床屋さんでは当時流行のショートヘアを見て、
素敵な長い髪を大たんにもカットしました。
決断力、行動力、潔さも持ち合わせています。
花屋が花束を買ってくれと渡すと
自分にくれたものと思い、握手を差し出すシーン。
いつも身に付いた仕草なのでしょう、、、でも、
笑えました!
王女として花束をもらうのには慣れていたんですねえ。
「私は12時にカボチャの馬車で消えます」
この、表現もいいなあ。
教養もあり、豊かな表現力を持っていますね。
※『ローマの休日』ヘップバーンカット誕生の記事も書いています。
よろしければ、こちらからお読みください。
ローマの休日のアン王女が最後に見せた優しさ
ローマの休日(映画)アン王女の最後の訪問地イタリアのローマ。
普通の娘として新聞記者ジョーと市内を散策したアーニャは大使館に戻り
翌日の記者会見で王女に戻りました。
「訪問地、ロンドン、アムステルダム、パリ、イタリアのどこが一番良かったですか?」
と、記者に聞かれ
「ローマです」と即答
でも、王女はローマでは高熱で寝込んでいたことになっていたのですが。
王女として、言葉を選びながらも、
ジョーに感謝を込めて送ったお礼の言葉だったのではないでしょうか。
頭の良い、思いやりのある素晴らしい女性ですよね!
本当に優しい、素直な女性だと思いました。
※『ローマの休日』最後の記者会見についての記事も書いています。
よろしければ、こちらからお読みください。
以上、
●アン王女はどこの国の王女?
●モデルになった人はいる?
●性格や年齢
についてお伝えしました。
以上、
(ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。)
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